タイトル
モチベーショナル・リーダーの条件
Power Is the Great Motivator
著者
デイビッド C. マクレランド
David C. McClelland
デイビッド H. バーナム
David H. Burnham
掲載
Februray, pp. 102- 105, 2010. (in Japanese Edition)
序文
マネジャーの動機のパターンを分析すると優れたマネージャは、組織全体の利益のためにその権力を行使したいという動機を持っていた。
要約
大規模で複雑な組織のマネジャーの場合、成功に必要な一切合財の仕事を自分の手でやり切れるわけではない。部下たちを動かし、組織のために働かせなければならない。
マネジャーの仕事は一人で優れた成績を上げるものよりも、うまく人を動かせるものに向いているようだ。したがって、モチベーションという点からすれば達成動機よりも権力動機の強い人がマネジャーとして成功すると期待される。つまり、達成動機だけが強く、権力動機・親和動機が弱い人間は、正論は言うが、「その正論に周りを従わせる」ということに興味が向かないので、マネージャーには向かない。このことは、ケーススタディからも実証された。
ただ、この権力動機は、「マネジャーの権力を拡大し、権限を振りかざす」という方向ではなく、組織全体の利益となるようにチームに前向きなインパクトを与え、強い立場から影響力を行使しチームをコントロールという方向に向いていなければならない。また、親和動機と混同してもいけない。
優秀なマネジャーとは、部下にエネルギーと責任感をみなぎらせ、成績に応じた報酬を適切に与え、部下が自分のやるべきことを認識できるような秩序ある組織を整えている人のことである。また、部下に強いチーム・スピリットを培い、チームの一員として働くことに誇りを感じさせるようにしなければならない。
親和動機が強いマネジャーは部下と良好な関係を保つことに意識が向かい、「なぁなぁ」の関係が生じ、「例外」に走る傾向が強くなる。このようなマネジャーの場合その例外が不公平に映る。
注意しなければならないこととして、優秀なマネジャーの特質は他にも考慮すべきことがある。また優れたマネジャーの権力動機は自分の地位や名誉に向けれられ、それを獲得することではなく、自分が属する組織に向けられる。(つまり、組織の目標達成にむけて「人をコントロール」する、ということである)
マネジャーには以下の3タイプがいる。
組織志向マネジャー:
権力動機が高く、親和動機は低く、抑制力が高い。
組織的な権力に関心を抱き、それをテコに部下を動機づけ生産性を高める。
部下は、責任感を強く感じるようになる。
このタイプのマネジャーは明確な組織作りを目指して、高いチーム・スピリットを醸成するので、部下のモラールも高まる。
親和志向マネジャー:
権力動機よりも親和動機が強い人。
部下はエンパワーメントされておらず、組織の手続きは曖昧で、自分のチームの仕事にあまり誇りを感じていない。
理性よりも感情で判断したり、その場の人間関係に左右されて場当たり的な決断を下したりすることが多い。
手続きが無視されているため、部下は自分の権限は弱く、責任を与えられていないと思うようになり、次にどうなるのか、自分はマネジャーと比べてどのような立場にあるのか、あるいは自分が何をすべきなのかさえ、わからなくなってしまう。
個人権力志向マネジャー:
親和動機よりも権力動機が強く、抑制力は弱い人。
自制心にやや欠けるため、組織作りで失敗する。彼らの部下たちは所属部門というよりは、上司個人に尽くそうとする。
伝統的な組織心理学では、権威主義的マネジメント=悪とされてきた。しかし結局のところマネジメントとは影響力を行使しあうゲームである。今回の主張は、これまでの行動科学における調査と矛盾するように見えるが、それは、我々が「動機」の話をしているのに対して、行動科学者は「行動」の話をしていることにある。我々の観点は、あくまで、「それに興味関心を抱く傾向」(動機)を対象にしており、「なぜ、それに興味を持っているのかや、その目的達成の手段としての具体的な行動」を対象にしているのではない。
我々の主張は、マネジャーは影響力を行使しあうゲームを、統制されたアプローチで進めることに関心を払うべきだということであり、権威主義的行動に訴えるべきとするものではない。あくまで、民主的に権力を行使しながら行動することが優れたマネジャーの条件である。
感想
アメリカ文化での労働者のモチベーション管理と、日本文化での労働者のモチベーション管理は異なる気もする。果たして日本で親和動機と権力動機のモラールへの関連はどうなのだろうか。また、もともと1976年の論文であることにも注意が必要。
マクレランド自身が書いている論文なので、マクレランドが達成動機・権力動機・親和動機という言葉にどういう意味を込めていたのかが垣間見える。正直、今までの自分の認識が間違っていたのではないかと考えさせられる。「権力動機が強い=人の上に立ちたい=悪」という図式がどうしても頭に浮かぶが、どうも違うようだ。権力動機とは「人をコントロールする」ということを「欲する」「それを獲得することを目的にする」というより、「そういうことが起こるような行動や意思決定をとることが多い」というその人のパーソナリティをさしている。そこには、「それが良い悪い」は含まれていない。
結局「人の世」で、「組織」で、組織的に何かを達成するためには、リーダーは適切に影響力を行使することが求められる。
「権力動機がない」という言い方をすると分かり易い。それは、つまり「人を支配下に置く・人に影響力を及ぼす」ということに「興味が向かない人」ということ。そういう人は、ネガティブに言えば、周りを見ずにスタンドプレーに走る可能性がある。個人レベルの仕事ならそれでもいいかもしれないが、組織レベルの仕事となるとそういう人は、自分の責任で(周りがうまく回るように心を砕かないため)周りに足を引っ張られて良い成果を上げられなくなる。ということ。
「権力動機がある人」とは、「人を支配下に置く・人に影響力を及ぼす」ということに「興味が向かない人」のこと。ここで注意しないといけないのは、この興味は、その人の特性みたいなもの。「個人的権力を欲するため」や「組織目標を達成するため」という、「人を支配下に置く・人に影響力を及ぼす」ということに「興味」の理由の、さらに根元には、「社会」というものを意識しやすい傾向があるということ。そして、権力動機は、その傾向のことをさしている。